スポンサード リンク

自称、「武田信玄の末裔」として、話題になっていた
モデルの武田アンリが万引きの疑いで逮捕されました。

「武田家のイメージダウンか」と思いつつも、
実は、昨年の段階で、武田家の関係者による親睦団体
武田家旧温会」からは、武田アンリは、
「そのような方は、武田家にいらっしゃいません」と関係を否定されています。

じゃあ、実際、
武田家の末裔ってどうやって決まっているの?
と気になったので調べてみました。

七人の息子たちの行く末

武田家旧温会では、武田家の子孫を決定した経緯について
HPで説明しています。それを分かりやすくまとめると以下のようになります。

まず、武田信玄には、七人の息子がいました。

長男:義信(よしのぶ)⇒信玄に背いて自害させられる
二男:信親(のぶちか)⇒盲目のため家督を継げず
三男:信行(のぶゆき)⇒11歳で亡くなる
四男:勝頼(かつより)⇒家督を継ぐことに
五男:盛信(もりのぶ)⇒26歳の時に、織田軍との戦いで戦士
六男:信貞(のぶさだ)⇒織田軍に攻められ命を絶つ
七男:信清(のぶきよ)⇒上杉家に逃れ、米沢武田家の祖になる

という感じで、皆さん、波乱万丈の運命を辿っていらっしゃいます。

 

正式な子孫探し

大正三年に、天皇陛下から、従三位(じゅさんみ)という位が
武田信玄に贈呈されることになり、誰がそれを受け取るかということで、
正式な子孫探しが始まりました。

この時、「我こそが、武田信玄公の子孫なり」と、
合計36家が名乗りでたそうです。

その後、12年間に渡って、論争や研究を重ねた結果、
二男、信親の血を引き継ぐ家系が正統な子孫とみなされました。

この時、七男、信清の家系も候補に挙がりましたが、
以下の3つの理由で、二男、信親の家系に軍配が上がったとのことです。

【理由1】
七男、信清は、武田信玄の側室の子供であったのに対し、
二男、信親は、武田信玄の正室の子供であった。

【理由2】
当時の江戸幕府が信親の家系を、武田信玄の正統的な子孫であると認め、
表高家という地位を与えていた。

【理由3】
武田信玄の法要は、二男、信親の家系を施主として行われてきた。

ということで、現在の 武田家の当主は、二男、信親の家系を継ぐ
第十六代目の武田邦信氏となっています

 

○○家の末裔という言葉には、注意した方が良い!?

実際、武田信玄には、たくさんの息子がいたので、
その血を引き継ぐ人達は、結構いらっしゃるようです。

大正三年の時も、武田家の子孫ということで、
わんさかと名乗りを上げる人たちが出てきました。

つまり厳密に言えば、正式な末裔ではないのだけれども、
「我こそは、末裔なり!」と主張している人達もいるのでしょう。

なので、「私は、○○家の末裔なんだよ」という人が出てきたら、
えっ、本当に、どういう経緯で?
どこまで正式に認められた家系なの?

と突っ込んで調べてみる必要がありそうですね。

下手に、戦国武将の末裔だと、主張していたら、
あの世に行ってから、その武将に思いっきり怒られそうですから^^;

スポンサードリンク