スポンサード リンク

2014年2月に東京都内の公立図書館で、「アンネの日記」関連の書籍が破られるケースが相次いでいます。

「アンネの日記」が話題になっているところで、この作品に起こっている捏造問題について、まとめてみました。

最初は、「そんなことあるわけないじゃーん」と思いながら、調べていたのですが、調べている内に、ある重要な観点に気が付いたので、その点も含めて書いていきます。

アンネの日記ってどんな話?

「アンネの日記」は、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが、第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツ人のユダヤ人狩りを避けるため、隠れ家に住んでいた時から、ドイツの秘密警察に捕まってしまうまでの2年間を描いた作品です。

そして、アンネの死後、アンネの父親のオットー・フランクが、アンネの日記をまとめて出版しました。

その後、この作品が世界的ベストセラーになったのは、皆さんもご存知の通りです。

捏造したとされる根拠

アンネの日記が捏造したと言われるのには、いくつかの根拠があります。

そのポイントをまとめてみました。

筆跡が違う

アンネの文章は、13歳ぐらいの少女が書いたとは思えないぐらい、大人びた巧みな文章になっています。

もちろん、そういう賢い子供がいても全然おかしくないので、それは問題ないのですが、問題になってくるのは、彼女の筆跡です。

1988年に、当時アンネが友達宛に送ったとされる手紙が見つかりましたが、その筆跡は、丸っぽい文字であったのに対し、アンネの日記の原文の筆跡は、右斜めに傾いているなど、筆跡は、明らかに違っています。

ちなみに筆跡問題は、裁判にもなっており、1990年に、原文の筆跡はアンネ本人のものであると判決が出されています。

また、子供の筆跡は、年齢によって、変わってくるので、たとえ、二つの筆跡が違っても、子供の成長過程で筆跡が激減したという見方も出来ない訳ではありません。

ただ、実際の筆跡は、その点を差し引いても、あまりに違うため、個人的に、すっきりしない感じも残っています。

ボールペンの問題

アンネの日記の一部は、ボールペンで書かれています。

実は、戦時中、ボールペンは一般的に使われおらず、ボールペンが普及するようになったのは、1945年以降、
つまり戦後です。

この件に関しては、ボールペンで書かれた部分に関しては、本人ではなく、別の人が書いたということが認められています。

ただ、具体的にどこの部分がボールペンで書かれたのかは、あいまいになってしまっているところがあります。

邪推すればこんなことも考え方も出来ます。

もしボールペンで書いた部分(他人が書いた箇所)が、
当時のインクで書かれた部分(本人が書いた箇所)の
筆跡と一致していれば、全部他人が書いたことになる。

真相は、まだはっきりしていません。

作品が出版されるに至った経緯

アンネの日記は、父親のオットー・フランクが娘の日記をまとめたとされていますが、実は、アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンに書かせたという話があります。

実際、アンネの日記が、世界的に大ヒットしたあと、版権を持っているオットーに対して、メイヤーも版権を主張して、裁判まで発展してしまいました。

メイヤー・レビンは、裁判で「アンネの日記」の真偽を問われた際、オットーから、日記作品に対する謝礼金として
5万ドルを受け取ったことや、自分がゴーストライターになったことを認めてしまいます。

メイヤーは金の欲しさにそう主張したのでしょうか。

それとも・・・

この問題の背景にあるもの

これは、ネット上の記事を拾ってきたので、もっと詳しく調べみる必要はあると思ってはいます。

ただ一つ気が付いたのは、この問題は、どこかの話と似ているなーということです。

アンネの日記で悪役になっているドイツが、戦時中の日本と重なっているように見えるからです。

例えば、韓国の従軍慰安婦が、戦争中の経験を日記にまとめて小説として発表し、それが世界的ベストセラーになったとしましょう。

小説の持つ影響力は絶大です。

その小説を読んだ世界中の人々は、従軍慰安婦に同情し、日本に対して敵意を抱くでしょう。

その小説は捏造だと主張する人に対しては、「過激なナショナリスト」と決めつけ相手にしないでしょう。

もし、その小説が、日本に対するイメージを悪くするためのプロパガンダとして利用されていたとしたら・・・

実は、こういう構図が、アンネの日記では起こっています。

歴史というのは、視点を変えると、まったく違った内容に見えてくることがあります。

そういった意味で、アンネの日記の問題は、いろいろ考えさせられるテーマなのかなあと感じています。

ここら辺は、非常にセンシティブな問題なんですけどね・・・

スポンサードリンク