ウクライナ問題で争点となっているクリミア半島
今、その動向に世界が注目しています。
今回は、クリミア半島を巡って、今まで歴史はどうながれてきたのか、簡単にまとめてみました。
ロシアとの関わり
クリミア半島の歴史を振り返ってみた時に、ロシアが関わるようになってきたのは、18世紀にさかのぼります。
その当時、クリミア半島には、チンギスハーンの子孫によって作られたクリミア・ハン国がありました。
しかし、1768年~1774年に起こった露土戦争で、ロシアがオスマントルコ帝国を破ると、クリミア・ハン国もロシアに従属するようになり、1783年にはクリミア半島の全域がロシアに併合されます。
その直後にロシアの黒海艦隊の基地がおかれ、その部隊は、今でもクリミア半島に配備されています。
さらに南下政策を進めるロシアは、宗教上の理由もあり、イギリス・フランス、サルデーニャ、オスマントルコの4ヶ国と激突し、1853年~1856年にクリミア戦争が勃発します。
この戦争は、総勢20万人が命を落としたと言われるほど熾烈さを極めました。
そして、最後は、クリミア半島でのロシア海軍の拠点、セヴァストポリ要塞が陥落し、終息していきました。
この戦争は、ナイチンゲールが従軍看護婦として活躍したことでも有名です。
ロシアは、辛うじてクリミア半島を領土として、維持しますが、この戦争は、ロシアにとって、事実上敗北の戦争でした。
その後、第二次世界大戦でも、クリミア半島は、ドイツ軍とソ連軍の激戦の舞台となります。
また、終戦間近の1945年には、連合国軍の首脳が集まって、第二次世界大戦の戦後処理が決められたヤルタ会談がクリミア半島のヤルタ近郊で開かれました。
ウクライナのもとへ
クリミア半島は、長い間、ロシアの中にありましたが、1955年に、ソ連のフルシチョフ書記長の決定で、ロシアからウクライナへ移譲されます。
ただ、この時は、ロシアもウクライナも同じソ連の中にあったので、大きな問題にはなりませんでした。
そして、1991年のソ連崩壊後、クリミア半島は独立したウクライナの一部となります。
1992年に、クリミア半島は、独立宣言をしますが、結局は、ウクライナの自治区になることで同意し、クリミア自治共和国という形となっていきます。
しかし、その後も、クリミア半島の帰属をめぐり、ロシアとウクライナの間には、争いが断続的に起きています。
なぜ、ロシアはクリミア半島にこだわるのか?
ロシアの港は、大半が冬になったら凍ってしまいます。
そんな中、黒海に面したクリミア半島は、冬でも凍らない不凍港として、ロシア海軍、そしてロシアにとって歴史的に非常に重要な要所であったのです。
そして今もなお、ロシアの黒海艦隊があるのですから、ロシアにとってクリミア半島は、絶対押えておきたい場所なのです。
こうやって見てみると、1955年にフルシチョフが、クリミア半島をウクライナへ移譲しなければ、現在のウクライナ問題は行っていなかったかもしれないと感じます。
ただ、これまでの争いの歴史を振り返ってみるならば、クリミア半島は、戦いの歴史から逃れることが出来ない宿命を背負っているのかもしれません。
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