ウクライナが、東西に分裂するかもしれないほどの危機に陥ってる中、注目を集めているのが、ユーリヤ・ティモシェンコ元首相です。
以前、この方が、美人で有名だということで記事を書きましたが、今回は、ティモシェンコ元首相の波乱万丈の人生にフォーカスを当ててみました。
オレンジ革命での活躍
ティモシェンコが、政界で躍進したのは、2004年に起こったオレンジ革命の時でした。
オレンジ革命とは、大統領選挙の結果に対する抗議から巻き起こった一連の出来事を言います。
そこで、重要な役割を果たしたティモシェンコは、「オレンジ革命のジャンヌ・ダルク」とまで言われ、再選挙で当選したユシチェンコ大統領の下で、2005年2月に首相に就任しました。
しかし、その後、大統領と対立するようになり、その年の9月には、解任されてしまいます。
復活と挫折
しかし、その後、自らが結成したティモシェンコ・ブロックという政治ブロックが勢力を伸ばし、2007年12月に、ティモシェンコは再度、首相に返り咲きます。
ここが、彼女のある意味、全盛期、美しぎる首相として、美しさ全開で、がんばっていた時期でもあります。
しかし、その栄光の日々も長くは続きませんでした。
2010年に、大統領選挙にも出馬しますが落選、そこでティモシェンコは選挙の不正を訴えますが、却下され、逆に首相の座まで奪われ、政治的に失脚してしまいます。
(しかし、それにしてもこの国は、不正選挙に絡む話が多いですね^^;)
失脚したティモシェンコには、その後、様々な容疑が掛けられます。
温室効果ガスの排出取引で日本から得たお金を不正に使ったロシアとのガス契約で、職権を乱用した
という罪を問われ、拘置所生活を送るようになり、その年の2011年10月には禁錮7年を言い渡されます。
そして、2013年の1月には、1996年に起こった実業家殺人事件の首謀者だとして、殺人罪で起訴までされてしまいます。
一時期は、終身刑の可能性があるとまで言われ、絶対絶命のピ~ンチを迎えます。
釈放までの道のりと復活
しかし、ティモシェンコの政敵であるヤヌコーヴィチ大統領が、政治勢力を失うようになり、2014年2月22日に解任されたことをきっかけにティモシェンコは、遂に釈放されます。
現在、53歳のティモシェンコ、次の大統領選挙には出馬予定で、そこで、再び輝きを取り戻せるかが注目されています。
しかし、釈放されたティモシェンコを見て、ちょっと残念に思った男性の方は多かったかもしれません。
太ったこともありますが、やはり拘置所生活が、美容に与えた影響は大きいかったのでしょう。
でも、化粧したら、また元に戻るのかもしれませんね。
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