火垂るの墓のあらすじと感想~切ないラストに思わず号泣

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火垂るの墓は、野坂昭如市の短編小説で、それを原作として1988年にジブリのアニメとして公開され、多くの人達の涙を誘った作品です。ちなみにアニメの作品は原作の内容をかなり忠実に再現したものになっています。

ここでは、火垂るの墓のあらすじを簡単にまとめながら、読書感想文を書く際の参考にもなるよう、私の感想も最後にお伝えしていきます。

火垂るの墓のあらすじ

戦争で母を失った清太と節子

舞台は太平洋戦争末期の昭和20年の神戸。海軍大尉を父に持つ、14歳の主人公清太は、病弱な母と4歳の妹、節子と3人で暮らしていました。

しかし、昭和20年6月に、神戸はB29からの空襲を受け、清太は母を防空壕に残して、節子を背負って逃げていきます。そして、空襲が終わった後、避難所として指定されていた学校へ向かうと、そこで包帯で全身をぐるぐる巻きにされた母を発見します。

やがて、母は息を引き取り、清太と節子は西宮にいる遠縁の未亡人の家に引き取られるようになったのでした。

親せきのおばさんとの確執

最初は、親戚のおばさんも清太と節子に対して同情的でした。しかし、学校へも行かず防災訓練にも行かない清太と節子におばさんは不満を抱くようになります。

ある時、清太の母の着物を売って、お米に変えたのですが、おばさんはそのお米を自分の子供達ばかりに食べさせて、清太と節子には与えませんでした。そんなおばさんの嫌がらせが続くようになり、嫌になった清太は節子を連れて、おばさんの家を出ていくのでした。

川辺の防空壕での生活

清太は、母が残してくれていた7,000円で家財道具を買い、リヤカーに積んで、川辺にあった防空壕で節子と二人で生活をするようになりました。貧しくとも楽しい生活を始めた二人でしたが、そんなささやかな幸せも長くは続きませんでした。配給は途切れがちで、思うように食料を調達できず、やがて食料は底を付き、二人はタニシやカエルを食べるようになってしまいます。

そんなある日のこと、電気がない中、清太は火垂るを集めて幻想的な明かりを節子と楽しむのでした。しかし、翌朝には火垂るは死んでしまい、節子は火垂るの墓を作ります。

「おかあちゃんもお墓に入ってんねんやろ」という節子の言葉を聞き、幼いながらも母の死を理解しようとしている妹を見て清太は涙が止まりませんでした。

節子の死

そんな節子も生活環境の悪さから、汗疹や湿疹を患うようになり、やがて体も衰弱していきます。節子を助けるため、清太は野菜泥棒をしたり、火事場泥棒をしたりして、何とか飢えをしのごうとするのでした。

そんな中、清太は父が戦争で亡くなったことを知り、気が動転していしまいます。それでも節子の前では、明るく振る舞う清太でしたが、遂に節子は倒れてしまいます。

医者のところへ連れていっても、医者は、”滋養を付けるしかない”とだけ言って、何も治療をしてくれませんでした。医者からも見放された節子のために、清太は銀行から下ろした残りのお金で節子にスイカを食べさせようとします。

しかし、その時、節子は既にスイカを食べる力も失っており、やがて息を引き取ります。節子を火葬した清太は、節子が肌身離さず持っていたサクマドロップの缶に節子の骨を入れて、防空壕を出ていくのでした。

ラスト(清太の最後)

両親と妹を失った清太は、戦争孤児となり、自らも衰弱して、駅の片隅で死を待つだけの状態になってしまいます。清太が持っていたのは、節子の遺骨が入ったサクマドロップの缶だけでした。

やがて、清太は終戦直後の8月22日に静かに息を引き取り、節子の元へ旅立っていくのでした。(テレビの放送ではこの清太が亡くなるラストのシーンがカットされることがあります)

そして、ラストでは清太と節子の魂が現代の都会のビル群の夜景を見るシーンで終わっていきます。

火垂るの墓の感想

最後に、火垂るの墓の個人的な感想を書いていきます。実は、私自身、1988年に劇場で火垂るの墓を見た時は、思わず号泣してしまいました。戦争さえなければ、幸せな人生を過ごせたはずの幼い兄妹が、こんなに無残な最後を迎えてしまったことが本当に悲しくて悲しくて、ただ泣いてしまいました。

もちろん、清太に冷たくあたっていた親戚のおばさんをひどい人だという人もいます。その一方で、裕福だった時の習慣が抜けずに、必死になって生きているおばさんの家で学校にも行かずに甘えていた清太も良くないという人もいます。

しかし、戦争という極限状態の中で、火垂るの墓に出て来た登場人物たちは、心の余裕を持つことは出来なかったというのは紛れもない事実です。そういった人達を攻めることはやはり出来ないと思うのです。

今、戦後70年以上が経ち、世界情勢は再び緊迫する時を迎えています。戦争の直後は、「二度とこのような悲惨な戦争を繰り返してはならない」と固く心に誓った人達も、その精神を少しずつ忘れつつあるのではと不安に思う時さえあります。

そんな今だからこそ、私達は火垂るの墓の時代に生きて、そして死んでいった人たちに想いを馳せ、今、やるべきことが一体、何であるのか、考えていくべきなのだと思います。

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